3にゃんと夫婦の写真日記と、結婚13年の“キセキ”の話もUP中
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親父劇場~最終章~の巻
2007-10-06 (土) | 編集 |

実は私と親父は犬猿の仲でした。

親子で犬猿の仲とゆーのも、おかしな話ですが。

とにかく

親父が「カラスが白い」と言えば白い、

親父が「こーだ!!」と言えばそーなのです。

間違ったことを言ってても、母は否定もせず、親父の言う通りにやってきました。

口答えもしない、ケンカもしない、何も言わない母の代わりに

いつのころからか、私がいつも親父に文句を言うよーになり、

大阪に出てくるまでの数年間は犬猿の仲でした。

その数年後、両親が離婚をし、この十数年の間に2回しか会えず、

7年ぶりの再会がこんな形になってしまいました。

 

もうすぐ3歳になる娘を持つ弟は

「やっぱり子供連れて会いに行っとけばよかった」

と悔やんでいたそうです。

私に、あー言ったものの(親父劇場~最後の贈り物~を参照下さい

いろいろと複雑で、なかなか行けなかったよーです。

 

親父の癌は再発はしていなかったよーです。

ヘビースモーカーだった親父は

咽頭癌にはタバコが一番悪いと言われ、すぐに禁煙していました。

が、お酒だけはやめれなかったみたいです。

かなりの大酒飲みだったので肝臓を患い

最期はアルコール性肝硬変による食道静脈瘤の破裂です。

駅のトイレで吐血して倒れているところを

通報してくださったようです。

改めて、ありがとうございました。

声帯がないので、声がうまく出せないのですが

しばらくは、まだ意識もあったそうです。

 

私達が連絡を受けたのは何時間もたっていたので、

病院に駆けつけた時には、もう昏睡状態で話もできませんでした。

せめて最期に話がしたかった。

「親父・・・親父・・・」

と声をかけるのが精一杯でした。

親父・・・私達が来たこと、分かったのかなぁ・・・。

 

みんなで

「好きなことして好きなお酒飲んで、逝くにはちょっと若かったけど、親父らしい生き方して親父らしい逝き方やったんちゃうかな~」

って話しています。

 

親を亡くすということは悲しいことですが

だから親子が終わりとゆーワケでもなく

親の死をもって、いろんなことを考えさせられました。

 

ねこドルの日記に足を運んでくださった皆様、

いつも応援してくださった皆様、

今回をもって「親父劇場」を終了させていただきます。

本当にありがとうございました。

ここに親父との思い出を綴ることで私の気もまぎれたり、

皆様からの暖かいコメントや応援で励みになったり、

本当にありがとうございました。

次回からうちのにゃんこや筋肉バカ(旦那)のネタを更新していきますので

また、是非、お立ち寄り下さい。ペコ。

 

 

kazokuburogu家族を大切に・・・。


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親父劇場~最後の贈り物~の巻
2007-10-06 (土) | 編集 |

私が結婚したのは9年前です。

両親はすでに離婚して2年がたっていました。

故人のことを悪く言うのは嫌だし、どんな親でも私の親なので

「親父劇場」には明るい話題しか書いてきませんでした。

それが私の親父に対しての供養の気持ちだからです。

でも現実は、離婚の数年前から離婚するまでは本当に大変で

子供はみんな親父と縁を切るつもりでした。

 

結婚を決めた時、旦那は

「どんなことがあってもお父さんなんやから、やっぱり挨拶に行った方がええと思うねん」

って言ってくれました。

でも、一言では語りきれないいろんなこともあり、母や兄弟の気持ちを考えて、

そして親父の性格も考えた上で、こう言いました。

私 「挨拶には行かんでええよ。とんでもない親父やから何言われるか分からんし

   会って嫌な思いするかもやし」

旦那「どんなお父さんでも、居てはるだけええやん・・・」

とっても寂しそうでした。

旦那が9ヶ月の時に旦那のお父さんは過労によるご病気で他界されています。

「お父さん」とゆーものを知らずに育った旦那にとって

「お父さん」がいるだけで羨ましかったそうです。

私も申し訳なく思うんです。

もし、離婚してない親を持つ人と旦那が結婚していれば

義理でも「お父さん」ができたのですから。

でもその当時は親父に会うことはできませんでした。

 

結婚して1年たった頃、親父が咽頭癌になって入院したと知らせがきました。

みんなで相談して、母も兄弟も、そして旦那もお見舞いに行くことに・・・。

親戚伝いに私が結婚したことを知っていたはずなんですが

挨拶した旦那に

親父「俺はなんにも報告受けてへん。あんたが旦那か?!俺は聞いてへん!!」

と、知ってるクセに知らないと言い、少し「花嫁の父」みたいな雰囲気でした。

 

私は親の離婚を見てきたので「結婚」にいいイメージもなく願望も薄かったです。

でも結婚する時はドラマのように

父に反対され、それを説得し、泣く父とヴァージンロードを歩き、

惜しまれながら惜しまれながら嫁いで行く・・・

のが夢っだりもしました。

だから、親父が「俺は聞いてない!」と言った時は

娘を取られたよーな「花嫁の父」の気持ちになってくれたのかと

嬉しくも思いました。

 

それからまた1年が過ぎた頃、親父の癌が再発したと知らせがきました。

今度は声帯を取るので、もう話すことができなくなるかもしれないので、

その前に話しておきたいことがあると、私達夫婦と弟が呼ばれました。

そして、親父はいろいろな話をしました。

その日の帰り際、癌でかすれてしまった声で親父が

親父「そろそろ子供ができよるんちゃうやろかと思って、コレこーたんや(買ったんや)」

と渡してくれました。

贈り物

帰り道、大学生だった弟に

弟 「いろいろあったけど子供できたら子供連れて親父に会いに行ったってもええんちゃうか~」

って言われました。

家に帰って開けてみると

最後の贈り物

子供服のセットとガラガラが入っていました。

ものすごく嬉しかったです。

当ブログで私達の「子供事情」については触れていませんでしたが

9年たった今も子供には恵まれていません。

あの当時、子供ができたら会いに行くことの決心はできませんでしたが

授からない年月を重ねるごとに

もし授かったら、あの服着せて会いに行こうと思う気持ちが強くなっていきました。

旦那も「いつかあの服着せて会いに行けたらええのにな~」って言ってくれていました。

その日が来るまで大切にとっておこうと、箱から出さず当時のままです。

これが私が親父からもらった「最後の贈り物」になってしまいました。

もし、これから先、うちに子供が授かるよーな奇跡が起きたら

あの服を着せて墓前に行きたいと思ってます。

 

今回、湿っぽい話になってしまって、すみません・・・。

 


親父劇場~旅行へ行く~の巻
2007-10-04 (木) | 編集 |

みなさんは子供の頃の家族旅行の思い出って何かありますか?

いい思い出、悪い思い出、

行きたかったけど行けなった人、行きたくないのに連れて行かれてた人、

きっといろいろだと思います。

 

夏休みに前になるとクラスの子達は

「私、ディズニーランドに行くねん!」

「私、海に行くねん!」

「ねこドルちゃんは~?

私 「まだ決まってへんねん」

 

そうです、夏休み前に家族旅行の予定なんて

決まっていたことなんて一度もありません!

そうです、予定なしで、その日は突然やってくるのです。

 

ある夏休みの朝、ラジオ体操から帰ってきた私達子供に

親父「オイ、旅行行くぞ!!」

私 「いつ?」

親父「今日や!」

私 「えーーーー( ̄□ ̄;)今日?!」

親父「そうや。はよ用意せー!泊まるからな~」

私 「泊まるん?!いつまで?」

親父「分からん!!」

 

それから大慌てで旅行の準備をし、

遊ぶ約束してた友達にキャンセルの電話を入れ、

犬の散歩に行き、

ニワトリにエサをやり(ニワトリいたの?!って話ですよね?www)

インコにエサをやり

熱帯魚にエサをやり

もう、みんなてんやわんやですよ(--;)===3

 

なんとか車に乗り込み、

さあミステリーツアーの始まり始まり~

だって、親父が連れて行ってくれる旅行は

行き先も宿泊先も日数も決めてあったことなんてありませんもん。

 

だから海に行く時もあれば山に行くこともある、

テント張って泊まる時もあれば車の中で泊まる時もある、

実にへんてこな旅行です。

 

その中でも忘れられない旅行があります。

私が小6の夏休みです。

毎年のように突然ミステリーツアーが始まりました。

どーやら岡山方面のようです。

鳥取砂丘・・・蒜山高原・・・

あちこち観光して蒜山高原の、とあるお土産屋さんで親父に

話かけてきたおばさんがいます。

しばらくすると

親父「オイ!行くぞ!!車に乗れよ~」

なぜかそのおばさんも同乗してきました。

 

おばさんの案内通り車は進みます。

どーやら、今日の宿泊先を紹介してくれるみたいです。

 

はい、ここで解説!!

親父は毎回宿泊先を決めて旅行に行ったことなど一度もありません!

新婚旅行ですら行き当たりばったりだったそうです。

なので、この時も当然。

 

しかもこの年、お盆の真っ只中!!

旅館もホテルも民宿もいっぱいです。

ところが、そのおばさんの知り合いの民宿に空室があると。

 

はい、着きました!

その時の感想を一言で言うと・・・

w( ̄▽ ̄;)wワオッ!! 

です。

感じでいうと・・・

今でいう古民家をお化け屋敷にしたみたいって思って下さい。

 

とりあえず中へ・・・。

通された部屋は、なんと住人の居間の隣の部屋!!

 

民宿の人「ゴハンの用意をしますので、お風呂へどーぞ」

 

みんな怖くて動けません。

ここはまずお父上様、お先にどーぞ!

とゆーことで、親父がお風呂へ。

 

10分ほどで上がって来ました。

親父「なんやここの風呂は・・・」

 

母と私は恐る恐る見に行きました。

客が入る風呂に、そこの住人の洗濯物や長靴、

掃除道具らしきホースとブラシ、

今にもつぶれそーな洗濯機。

そしてなにより汚い!!

カビだらけ( ̄□ ̄;)

 

しばらくすると、ゴハンの準備が始まりました。

サビサビのホットプレートがテーブルの上に置かれて、

汚れが取れてない皿が配られて、

液ダレした調味料が置かれ、

もう、この時点で食べる気がなくなってた時に

食材が運ばれてきました。

・・・・・・・・・?マジで?コレを食べろと・・・?

 

輪切りにされた玉ねぎも

半分に切られたピーマンも

斜めに切られたニンジンも

すべて切り口にサビがっ?!

 

たいがいのことには動じない親父が

親父「コレはアカンやろ・・・」

って言いました。

 

母 「こんなん、この子らに食べさせられへんわ~お父さん、もう出ようよぉ~」

親父「そやな、出よか」

 

たいがいのことは

親父「文句言うな!!」

って言う親父が素直に民宿を出ると言い出しました。

親父もよほど、だったんだと思います。

 

逃げるよーに民宿を出た私達家族は行くあてもなく車を走らせました。

と、そこへ1軒のラーメン屋が見えてきました。

夕飯を食べずに出たので、ひとまずそこへ入ることに。

 

親父はこれまでのいきさつをラーメン屋の店主に話してました。

親父「かくかくしかじか・・・」

店主「ぁあ~、それ、だまされたんちゃうか?!」

親父「はっ?!」

店主「そのおばさんと民宿、グルやで・・・たぶん。」

親父「 (-゛-メ) ・・・。どないしましょ?どっこもいっぱいで泊まるとこないんですわ」

店主「盆やからな~もうどこもいっぱいやで!あ!でもあるかも!!」

 

なにやら「あて」があったよーで、親父が店主から詳しく話を聞いてました。

私達は車に乗り、ただ到着を待っていました。

 

はい、到着!!

 

ん?何で?

車から部屋に直結??

でも、かっこええやん!!

こんなん初めて見たわ!!

 

部屋に入ると部屋中ピンク。カワイイ~~~(*´∇`*)

ベッドもシーツも枕もお風呂も・・・カワイイ~~~(*´∇`*)

 

でもベッドが足りません。

まだ小さかった妹と母がベッドで

親父はソファーで

私と弟はカーペットの上で

とりあえず寝ました。

 

朝になり、みんなで

「昨日の民宿はなんやってん(#`皿´)」

とブーブー文句言いながら帰路につきました。

 

その時には疑問に思わず年月は過ぎ・・・

私も大人になりました。

 

大人になった私は

「あっ!!!!あの時のホテルって・・・

もしかして・・・ラブホォォォーーーー?!」

って気付く時がきたんです。

 

母にも確認しました。

私 「めっちゃ昔の話なんやけど・・・あの時のホテルってラブホ?なん?」

母 「そーみたい。あそこしかあいてへんかったんやって」

私 「マジで・・・・(--;)私、家族でラブホ泊まったん?マジでか・・・(--;)」

 

この日本に家族でラブホに泊まった人いませんかぁ~~~~(T T)

 

翌年、私は中学に上がり、部活も忙しくなったので

このミステリーツアーが最後の家族旅行になりましたとさ。

おしまい、おしまい。

 

kazokuburogu今だから笑える家族旅行の思い出(^^)

banner_01.gifでも当時は大変でした(^^;)


親父劇場~クリスマス~の巻
2007-10-03 (水) | 編集 |

みなさんは子供の頃のクリスマスって、どんな思い出がありますか?

サンタを信じてる子、信じてない子、

プレゼントもらえる子、もらえなかった子、

クリスマスやる家、やらない家、

きっといろいろだと思います。

 

うちはやってました。

母がケーキを焼き、料理を作り、

子供らで部屋に飾りつけをし、

親父の帰りを待ってました。

 

私の一番古いクリスマスの記憶はこんなでした。

私が保育園に通っていた5才のクリスマス。

 

クリスマスには保育園でもパーティーです。

踊ったり歌ったり、出し物をしたり・・・。

突然、先生が

「今日はね~みんながイイ子にしてるからサンタさんが来てくれました~」

って、先生が指差す入り口を見たら

なんと大きな白い袋を持ったサンタさんが入ってきました!!

 

みんな感動です

 

先生の指示にしたがってサンタさんのところに1列に並びます。

順番にクリスマスプレゼントのお菓子が入った長靴をもらいます。

いよいよ私の番です。

サンタさん「はい、コレどーぞ(^^)」

私 「・・・あり・が・と・・・」

(; ̄ー ̄)...ン?

今のサンタ、親父に似てる・・・。

ま、まさかね~

そんなハズがない!!

 

先生「は~い、それでは、今日はサンタさんが手品をしてくれますよ~

   みんな~座ってね~~~」

 

(; ̄ー ̄)...ン? なんかヤな予感がするんですけど・・・

 

チャラリラリラァ~(←お約束のオリーブの首飾り

*お聞きになりたい方はこちら

 

なんか見たことのある箱から花が出てますけど・・・(--;)

なんか見たことのあるコップの水がなくなってますけど・・・(--;)

なんか見たことのあるヒモがスティックになりましたけど・・・(--;)

なんか見たことのある帽子からハンカチいっぱい出てますけどーーーー

って親父!!!!

 

そーです、親父がサンタさんやってたんです(--;)

この日、そう、私が5才の冬、

サンタはいないのだと知ったクリスマスの悲しいエピソード。

 

そして、その日の夜、

親父が応接室で手品の片付けをしていたのでした

[壁|_-)チラッ

 

バレてないと思ってる親父は、

それからも毎年クリスマスプレゼントを

枕元に置いてくれていました

 

ところが私が小2のクリスマスに親父が

クリスマスプレゼントらしき包装のものをかかえ帰ってきて

 

親父「コレ、クリスマスプレゼントや!」

私の弟「なんで?!今年はサンタさん夜中にこーへんの?!」

親父「実はお父さんな、家の前でサンタにおうたんや!

   だから先にもろといたったんや!!」

弟 「うわぁ~スゴイな~お父さんサンタとおうたん?!」

親父「ぉ、ぉおう・・・(^^;)」

 

私もここはおちゃめな親父にだまされておきました(≧▽≦)

 

それから毎年、家の前でサンタに会うよーになった親父は

きっと夜中に起きてプレゼントを置くのが面倒になったのだと

そう思います( ̄▽ ̄;)アハハハ...

 

ちなみに初めて親父が家の前でサンタに会った時のプレゼントは

その年大ブレイクした「Dr.スランプアラレちゃん」の

すごろくゲームでした(*´∇`*)

 

そして、みなさんが疑問に思っているとしたら・・・

「ねこドルさんちのお父さん、マジシャン??」

でしょ?www

違いますよ。

ただの趣味です。

いまさらですが、かなり多趣味なので、

手品、バイク以外にも

釣り、盆栽、ハーモニカ、ギター、サックス、社交ダンス・・・

またネタとして紹介できたらしていきますね(^^;)

 

kazokuburogu親父のおちゃめなウソは結構好きでした。

banner_01.gif今年のクリスマスには何か届くかな~なんてネ(゚∇^*) テヘ

 


親父劇場~バイクに乗る~の巻
2007-10-01 (月) | 編集 |

29日の記事にも登場したカブ(参照こっち

私が5、6才の頃の親父の愛車はカブでした。

よく後ろに乗せてもらいました=3

でも、あの後ろの席って、痛いから座布団引いてもらってwwwダサッ( ̄w ̄)

 

私が小学校に上がった頃から

こーゆーバイク

こーゆーやつに乗り換えたワケです。

親父はチョーーーーー目立ちたがり屋なので、

コレ↑を乗り回すわけですよ(^^;)

それもチョーーーーー田舎の道を。

目立ちます。

正直、目立ち過ぎます。

この時、親父35歳ぐらいです。

もーちと、落ち着けって話ですけど

そんなの聞く人じゃありません(ーー )

 

私は小学校を卒業するぐらいまで、よく鼻血を出す子だったんです( ̄TT ̄)鼻血ブー

特に朝。

止まらなくて病院に運ばれたこともしばしば(^^;)

で、ある朝、また( ̄TT ̄)鼻血ブー

学校へ着ていく服に鼻血ダラァ~

私 「服汚れたぁ~~~。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。 」(号泣)

母 「違うヤツに着替えて早く行きなさい!!」

 

当時「今日はコレを着る」と決めたら他の服を着ることがイヤだった

少々こだわりの強い変わった子供だった私は

他の服が決めれず号泣しまくってました。

 

間違いなく、

「ねこドルちゃ~ん、行こかぁ~~~」

のお誘いには間に合うはずもなく、余計に号泣。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。

 

渋々選んだ服に着替え

慌てて外へ出たら

親父がバイクのエンジンをかけ待ってました。

 

親父「はよ、後ろに乗れ!!送ったるから!」

私 「いやや!!そんなんで学校行ったら目立つやん!」

親父「間に合わへんやろ?!ええから、はよ乗れって!」

 

「遅刻」or「目立つ」

の究極の選択で私は

「目立つ方がマシ?かも??」と思い、バイクにまたがりました。

 

=====3

 

学校の門の外でおろしてくれりゃーいいのに

中庭へ====3

 

アカン!

目立ちすぎや( ̄▽ ̄;)アハハハ・・・

みんな窓から見とるがな( ̄▽ ̄;)アハハハ・・・

 

私の心の中「親父、はよ帰れよ~恥ずかしいやん(--;;;;」

 

そんな子供心、親知らず、ですよ。

親父は大の目立ちたがり。

めっちゃ得意げに帰っていきました===3

 

教室へ入った私に

クラスの子「ねこドルちゃんのお父さん、カッコイイ~~!」

      「いいな~あんなバイクに乗ってるお父さんで~」

 

当然、注目の的ですわなぁ(- -;)

 

私、思うんです。

親父は「私が遅刻しないよーに送った」んじゃなくて

「(小学生にも)目立ちたかった」んだと・・・。

( ̄▽ ̄;)アハハハ...

 

そんな親父は家計のやりくりなんて考えるワケもなく

そして、もちろん母になんの相談もなく

次から次へとバイクを乗り換えていきました。

 

気付けば、バイクはいつの間にかナナハンと呼ばれる

デカイやつになってました。

 

自分が結婚して思うことがあります。

あの親父の好き勝手な買い物を止めるワケでもなく

どーやってやりくりしてたんだ??と・・・。

 

一応ゆっときますけど、

うちはチョーーーー庶民ですから、お金はありませんよ!

ホントに不思議・・・。  

 

話がそれましたけど、

親父は離婚した後もバイクはやめず

最終的にはハーレーに乗っていたそうです。

 

ツーリング仲間もいたらしく

他界する1ヶ月前にも元気にツーリングしていたそうです

 

いわゆる団塊世代バリバリの60歳ですから

60歳おやじチームってとこですかねw

 

kazokuburogu 親父のことだから「三途の川」までハーレーで行ってそう(^^;)

 


皆様の応援あって、今日ブログ村のランキングの方の

猫 純血種多頭飼いランキングで4位になっていました。

本当にありがとうございます。ペコ。

最近ネタをUPしていないにもかかわらず夫婦ランキン

7位でした。

早く筋肉バカと3にゃんを登場させたいのですが、

もうしばらく「親父劇場」にお付き合い願えたら

うれしいです。

今後ともよろしくお願いします。ペコ。

 


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